
明治以来,わが国の学校教育は,「知識の伝授・吸収」であった。工業化社会においては,この教育は確かに効果を発揮したが,情報化社会においては,この類型的なパターンで育成された頭脳は,今日的な「生きた頭脳」として働かない。社会へ出ても「先人に学び,先人に倣う」のが鉄則であったが,この学習のプロセスは創造性とは程遠いものである。今,時代の流れ,社会の変化は,先人のつくった道を創造的に破壊し,そして再創造することを要請している。「知識の伝授・吸収」から「創造性育成」への教育改革が急務である。
情報化社会においては,工業化社会における「製品」に代わって「ナレッジ」が商品となった。すなわち,創造的な付加価値をつけるソリューション・ビジネスへ,ビジネスの様相が変遷した。この「知価時代」において,生きた頭脳,創造性が一層尊重されるのは当然であろう。
人類文明発生の歴史をさかのぼれば,常に素朴な「疑問」が,イマジネーションと論理を通して「真理の発見」へ至り,また「必要」は常に「発明」の母であった。美的感性,イマジネーションから美しい高踏的な芸術が生まれていった。
科学・技術と芸術は異質ながら,創造活動という観点においては同根である。この根源の重視が創造性の開発につながるのではなかろうか。また学習においては,「知識の吸収」に特化するのではなく,アメリカの教育で重視されている“自発的な問題発見と問題解決への取り組み”が創造性育成の一方法として見直されるべきであろう。“創造性育成”を主眼にして過去の教育プロセスのスクラップ・アンド・ビルドを図りたい。
我々は情報業界に役立つ人材教育を目標とするが,如何に実践指向教育といえども,決して理論としての学問を軽視するものではない。情報技術の激しい進歩・変遷の時代にあって,20年,30年の風雪に耐えうる技術力とは,単純なテクニックではなく,聡明な理解,柔軟な応用性を持った「才能としての技術力」であり,その才能の育成は,学問的理論「普遍的なもの」の教授と科学的思考精神の涵養によるものであると考察し,この教育を通じて「本物志向の教育」を確立する。
我々は,まさにここに本来の「大学」の存在理由を確認し,その意味で,本学も大学本来の伝統の系譜に属するものである。