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単位制を再考する~eラーニングによる学修時間をどう確保するか(2020/05/13)

『教育学術新聞』2020年5月13日

はじめに

新型コロナウイルス感染で世界は危機に瀕している。想像を絶する影響が社会の隅々まで浸透している。多くの大学が卒業式や入学式を中止,授業開始をゴールデンウイーク後まで延期している。さらに,対面授業に替わってeラーニングによる授業をはじめた。長年,対面授業に慣れた教員や学生の戸惑いは計り知れないものがある。

この危機的な状況に直面して,筆者は大学の単位制が崩壊するのではないかと危惧している。なぜなら,戦後日本の大学はアメリカをモデルに単位制を導入したが,その道程は決して順風満帆ではなかったからである。単位制については,1949年の新制大学発足時の「ボタンのかけ違え」が形骸化を後押しした。戦前は「単位制」という考えはなく,「学年制」であった。これまでも単位制の形骸化が危惧され,学修時間の確保が俎上に上がり対策も講じられた。しかし,単位制の本質が理解されないところに,いくら学修時間の確保が重要であると警鐘を鳴らしても「焼け石に水」である。ここでは「学修時間」であって「学習時間」ではない。多くの関係者は,文部科学省が「学修」という用語を使った途端に右へ倣いとばかりに一斉に使いはじめた。「学修」という言葉は,1949年に新制大学で単位制が導入されたときまで遡る(単位制に関しては,拙著『戦後日本の高等教育改革政策~「教養教育」の構築』(玉川大学出版部,2006年を参照)。大学関係者の多くは,学修と学習の違いを峻別することなく,曖昧に使用している。

単位制の歴史

単位制は,ハーバード大学で選択制が導入されたことに端を発した。エリオット総長は1869年の就任演説の中で必修科目制を廃し,自由選択制を導入した。アメリカの単位制は大学の存続に関わるもので,学生の学びを活性化した。単位制が機能しているから転学や留学がスムーズにできたのである。

新制大学が発足した当時,学年制の温床から抜け出せない関係者は,選択制よりも必修制カリキュラムに重点を置いた。大学教育は歴史的には選択制である。それが学生の主体的学びを促すことにつながる。当初から,日米には単位制の考えに齟齬があった。1948年の文部省編『日本おける高等教育の再編成』「学科目ト授業時間ノ組合セヲ示ス」の時間割には,1時間の授業の後,1時間の予習・復習の時間が設けられた。これが当時の「教室外学修」の考えであった。学年制の影響から,このような「ゆとり」の時間割が存続される由もなく,「穴だらけの」時間割と揶揄され,詰込みの時間割に戻された経緯がある。筆者も単位制の形骸化を論じてきた。とくに,1995年ジョン・タグ教授らの「学習パラダイムへの転換」を機に,学習者中心の学びが注目され,学びの形態もおのずと変化するものと期待されたが,そうならなかった。学修時間の確保のためにアクティブラーニングが推奨された。しかし,文部科学省の期待とは裏腹に十分な効果をあげることができなかった。それは,文科省がアクティブラーニングの本質を見誤ったからである。周知のように,文科省は「アクティブ・ラーニング」と綴りに・を入れている。これは,アクティブラーニングを教室内の学びに限定している証である。子どもの学びは,教室内に限定されるものではない。どこにいても学びは存在する。今回の新型コロナウイルス感染でいみじくもそれが露呈した形となった。子どもたちは学校外の学びを探せず路頭に迷っている。

写真:左から筆者,ディ・フィンク,ジョン・タグ,2018年6月15日撮影

教室外学修時間と成績評価

1単位とは,1時間の教室内授業に対して2時間の教室外学修(予習・復習)を15週行う45時間と規定されている。すなわち,講義の2倍の時間が教室外学修に課せられている。教室外学修をどのように成績評価に反映させるか,教員にとっては頭痛の種である。大学の教員は授業で教えた内容を試験して成績評価をつける。ディ・フィンク博士は,これを「後ろ向き評価」と呼んでいる。学生が教室外学修で何を学んだかは「前向き評価」となり,評価が多岐にわたるところから,客観性が失われると遠ざける傾向がある。学生の側からすれば,学んだことを再び試験が課せられ,成績評価がつけられても次につながらないと不満が出るのも当然である。学びとは教員の教えたことを「真似る」ことではない。それでは自立的・自律的学習者は育たない。学生は教員が何を評価するかを熟知しているので,教室外学修の重要性を喚起しても「笛吹けども踊らず」である。

帝京大学の一般教養教育で2単位の授業を4単位に「格上げ」する実験を試み,教室外学修時間の実態を検証したことがある。当然,学修時間を確保するために,学生の教室外学修時間は大幅に増え,「反転授業」も導入した。1科目で4単位が取得できるので履修者が殺到すると目論んだが,意に反して履修者はわずか二人で実験は失敗に終わった。実験から明らかになったことは,学生の関心が「楽勝科目」にあったことである。学生は,1科目4単位の「反転授業」などの負担の大きい科目を履修するよりも,2科目の講義による楽勝科目を取る方を選択した。これは,単位制の根幹である教室外学修時間の確保がいかに難しいかを裏づけるものとなった。

ミニットペーパー・ポートフォリオとコンセプトマップ

筆者は,長年,学生にラーニング・ポートフォリオ(学習ポートフォリオ)を課して,成績評価方法の一つにしている。最近の学生は受験の影響もあって,小論文(レポート)の書き方には慣れている。なぜなら,最初から課題が与えられるので書きやすいからである。レポートとラーニング・ポートフォリオは違う。後者は,学んだことを自ら振り返って「つなぐ」ことである。学生はノートを取ることが苦手で,後になって何を学んだか覚えていない。そこで,「ミニットペーパー・ポートフォリオ」を紹介したい。これは筆者の造語である。ラーニング・ポートフォリオの世界的権威者ジョン・ズビザレタ教授と対談したときに議論したものである。筆者のアイデアが称賛されたことを覚えている(詳細は,拙著『社会で通用する持続可能なアクティブラーニング~ICEモデルが大学と社会をつなぐ~』(東信堂,2017年,127頁を参照)。これは多くの教員が講義の最後の数分を使って,学生に質問などをミニットペーパーに書かせるものを応用したものである。筆者は,ミニットペーパーの替わりにコンセプトマップを描かせる。これは,ラーニング・ポートフォリオをまとめるときのエビデンスになる。コンセプトマップとは概念をつなげたもので,振り返ることでイメージが膨らみ,ラーニング・ポートフォリオの記述を豊かにする。全15回のミニットペーパー・ポートフォリオを一緒にして,「はじめに」と「おわりに」の項目を追加すれば,独自のコンセプトマップ入りポートフォリオができる。

おわりに ICEモデルの提言

なぜ,コンセプトマップがeラーニングの授業において有効なアプローチといえるのか,それは学修時間の確保ができるからである。個人差はあるが,コンセプトマップを仕上るのに約1時間~2時間の学修時間を要する。このアプローチは講義の延長ではあるが,自立的・自律的学習につながり,主体的学びを促すことになる。新型コロナウイルス感染の危機的な状況をポジティブに捉え,新たにミニットペーパー・ポートフォリオやコンセプトマップを学ぶことで,終息後に自分流の学び方を学ぶことにつながる。

筆者は,ICEモデル(原書ではICEアプローチとなっている)がこの危機的状況を乗り越える叡智を授けるものと考えている。すなわち,Iのアイデアがeラーニングでの学び,Cのコネクションがその学びをコンセプトマップ化する。コネクションもコンセプトマップもCではじまる。そして,EのエクステンションがCのコンセプトマップをラーニング・ポートフォリオに発展させる。ICEモデルは,I,C,Eが別々に存在するのではなく,一体化しているところに特徴がある。すなわち,教室内授業と教室外学修を区別するのではなく,1単位を45時間とトータルに捉えることで,eラーニングによる学修時間の確保の道筋が見えてくるのではないかと考える。

ICEモデルの著書のタイトルは,『「主体的学び」につなげる評価と学習方法~カナダで実践されるICEモデル』(東信堂,2013年)である。その特徴は,「評価」と「学習方法」が一体化しているところにある。これまで評価は教員が,学習は学生がというように別々なものと考えてきた。ICEモデルには,ICEルーブリックという評価ツールが内在している。その結果,評価のみならず,指導としてのツールの機能も有している。具体的には,ICEの3マジックワードは,教員と学生の共通の「媒介」のはたらきをする。教員は,学生がICEのどの領域にいるかいつでも確認できる。たとえば,I,C,Eのどこで躓いているか,あるいはどこが優れているかを瞬時に判断できる。

最後に,オンライン授業は対面と違って,学生の顔が見えにくいところがある。そのため,講義に熱中しやすい。肝に銘じたいことは,eラーニングであって,eティーチングではないということである。