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自律的学習者を育てるには~リカレント教育のための条件整備(2022/06/01)

『教育学術新聞』2022年6月1日

はじめに

経団連と国公私立大学の代表者で構成される「採用と大学教育の未来に関する協議会」は2022年4月18日に,2021年度報告書「産学協働による自律的なキャリア形成の推進」を公表した。これを受けて,『教育学術新聞』(2022年4月27日)は,「産学協働で自律的キャリア形成を~産学協議会2021報告書 リカレント教育インターンシップの重要性認識」と題する記事を掲載した。この「自律的キャリア形成」の文言に触発され,この論稿をまとめることにした。

特に,「産学協議会が検討対象とする『リカレント教育』とは,いわゆる『リスキリング』を包含した形で,主に大学院レベルを想定しており,『従業員が自身のキャリアアップやキャリアチェンジのためにスキルや専門性を高めるべく大学等で学ぶもの』『企業が人材育成戦略や競争力強化の一環として従業員を大学等に派遣し,スキルや専門性の向上を目指すもの』との目的に着目し,その拡充について検討してきた経緯がある」と述べている。

リスキリングとは何か

リクルートワークス研究所「リスキリング〜デジタル時代の人材戦略〜」(2020年9月)によれば,「リスキリング(Reskilling,Re-skilling)」という言葉は,日本ではまだ耳なじみがない。英語では,もともと職業能力の再開発,再教育という意味合いで使われてきた言葉だが,近年は特に,社会のデジタライゼーションや企業のデジタル・トランスフォーメーション(以下 DX)戦略のなかで新しく生まれた職を得るための職業能力再開発,という文脈に特化して使われることが増えてきた」と解説している。すなわち,企業のDX戦略のなかでクローズアップされたことが読み取れる。

リカレント教育の歴史

リカレント教育という言葉が初めて使われたのは,1969年5月にベルサイユで開かれた第6回ヨーロッパ文部大臣会議で,スウェーデンの文部大臣であったパルメ氏のスピーチだと言われる。後に,OECD(経済協力開発機構)から注目され,1970年代には教育政策論として世界各国に普及した。

『日本の人事部』によれば,「リカレント教育」とは,社会に出てから,自身が必要なタイミングで学び直しをすることを言う。「リカレント(recurrent)」は日本語で「反復」「循環」などと訳され,回帰教育,循環教育とも呼ばれる。

「社会人が新たな知識やスキルを習得する」という点はリスキリングと共通しているが,リカレント教育は学習と労働を交互に行うため,休職など労働から離れることを前提にしている。リスキリングは戦略的に従業員に学ぶ機会を与えるため,就業しながら学ぶことが大半である。

しかし,最近の新型コロナウイルス感染拡大の影響で,オンライン授業が普及したことで,休職することなしに,オンデマンド授業により,単位履修ができるようになり,これまでのリカレント教育の概念とは,異なった展開を見せている。

リカレント教育が再び注目されるようになった社会背景には,インターネットの普及,高齢化による労働人口の不足や18歳人口変化にともなう学生数の減少を受けて,社会人を「再教育」することを目的に,社会人入学や専門職大学あるいは大学院の発展につながったという経緯がある。その結果,DXの普及により,これまでとは違った文脈でリカレント教育の「再興」が注目されている。

リカレント教育のための条件整備

DX時代を迎えて,リカレント教育が重要であることは理解できるが,はたして,現状の大学教育において,それを促す条件整備が整っているかどうかはなはだ疑わしい。政策・戦略が先行し,実態が伴っていない。

アメリカの大学は,リカレント教育を「想定」した制度設計になっている。戦後日本もアメリカをモデルにして,大学および大学院制度を導入したのであるから,同じことが可能なはずである。しかし,実態はそうではない。たとえば,日本では,大学は4年で卒業するものとの「先入観」がある。ところが,学生の在学年限期間は,アメリカと同じ「8年間」と定められている。これは,仕事をしながら,学び続けることを奨励しているからで,単位制もそれに則している。卒業単位数も,それまでに取得すれば良い。

なぜ,日本ではそれができないのか。それは企業による新卒採用や大学側の「経営主義」という障壁があるからである。すなわち,授業料支払の問題がそうである。アメリカは履修した単位数の授業料を払えばよい。日本の場合は,「年間授業料」を払う。企業においても新卒採用から通年採用に変わりつつあり,4年で卒業するという意味が薄れている。

学生の履修科目数の少ない4年次も同額の授業料を払うのは,理不尽である。筆者は,社会人入学を促進する案として,授業料を単位数で払うことを提言したことがある。すなわち,4年間で払う授業料の総額を卒業単位(124単位)で分割すれば,単位ごとの授業料が算出できる。

これが可能になれば,アメリカと同じようにリカレント教育が活性化するはずである。そうなれば,CAP制による履修上限の問題は解消し,必要な科目を自由選択できる。それが,単位制の趣旨である。本来,CAP制は,単位制度を実質化(1単位当たり必要な45時間の学修時間を確保)し,学修すべき授業科目を精選することで十分な学修時間を確保し,授業内容を深く真に身につけることを目的として,学生が履修科目として登録することができる単位数の上限を定め,各年次にわたって適切に授業科目を履修してもらうためのものである。

自律的キャリア形成は可能か

DX時代の大学教育,とくにリカレント教育で何が最も重要か,それは自律的学習者を育てることである。「自律的学習者」を育成することは,「教育大国」日本では,至難の業である。

授業デザインの世界的権威者であるディ・フィンク博士は,「フィンク・タクソノミー」のなかで,大学の学びで最も重要なことは,最後の「学び方を学ぶ」ことであると述べている。この「学び方を学ぶ」ことが自律的学習者を育てることにつながり,リカレント教育を活性化することになる。

フィンクの意義ある学習のタクソノミー
図表 フィンクの意義ある学習のタクソノミー

出典:拙稿「学び方を学ぶ~新しい教養教育への挑戦」『主体的学び』6号「特集 いま,なぜ教養教育が必要なのかを問う」(2019年)

いま,すべての授業をオンラインで提供して,世界から注目されている,ミネルバ大学の初年次カリキュラムの骨子は「学び方を学ぶ」である。

主体的学びとは

文科省の「学修者本位の教育の実現」がDXを促すとして,主体的学びを奨励している。これは,学習者中心のパラダイムをDX化したものである。『主体的学び』7号(2021年)では,「教えることをやめられますか」と題して特集した。教育者は,これをどのように考えるであろうか。学校現場において,「教えることをやめる」という選択肢があるだろうか。「教える」ことは,学校教育に限らず,人間的成長に不可欠な要素である。なぜなら,人は教えから学び・成長するからである。

「教えることをやめる」ということは,教えることを「断念」することではない。教育の見方や考え方を変えることである。具体的には,これまで教員であった者が「ファシリテーター」となり,学習環境のための「チェンジエージェント(Change agent 触媒役として変化を起こす人)」になることを意味する。

おわりに

フィンク博士は,「学び方を学ぶ」が自律的学習者を育てると提唱しているが,学校の現状では,「学び方を教わる」ことも段階的に必要であるが,これだけでは「受動的な学び」の延長であり,リカレント教育を促すには程遠く,自律的キャリア形成にはつながらない。

なぜ,大学においては,「学び方を学ぶ」ことをことさらに重視するのか。それは,大学は,高校までと違い,「自学自修」を前提にした単位制で構築されているからである。大学の授業は,単位制と直結しているので,「自学自習」ではなく,「自学自修」の表記が正しい。そのために,講義は,単位全体の1/3に過ぎず,残りの2/3を自学自修することになっている。

単位制は,リカレント教育を実践するうえで最適であると筆者は考えている。たとえば,講義をオンデマンド授業で行い,残りの自学自修をインターンシップや企業での経験を活用すれば,インターネットやオンラインを駆使した,新たな「リカレント教育」の実現が可能になり,「自律的キャリア形成」につながるはずである。