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学習者の心にどう火をつけるか~北風型アプローチと太陽型アプローチ~(2022/11/16)

『教育学術新聞』2022年11月16日

はじめに「エデュケーション」の誤訳

筆者は,「ボタンの掛違い」という表現を良く使うが,その最たるものが「教育」の誤訳である。これは,英語の“Education”を日本語訳したものである。しかし,両者は似て非なるもので,まったく異なる意味合いである。

教育の「教」の語源を調べればわかるように,旧漢字では,「敎」と書き,建物の校舎を表し,その下に子どもがいる学校を表している。「敎」の右側のつくりのところは,旧漢字の「鞭」に相当する。これを興味深く表したのが,童謡「雀の学校」の歌詞,「鞭をフリフリ先生は」のフレーズである。すなわち,日本では伝統的に「教」えは厳しい躾や指導の下で行われていたことがわかる。

一方,エデュケーションは,個々の子どもの考えを「引き出す」という語源にもとづくものである。明治時代に義務教育の概念がアメリカから導入されたとき,英語のCompulsory Educationを「強制教育」と訳したというエピソードがある。これは「義務」の考え方の独断と偏見によるものである。

「偉大な教師は,相手の心に火をつける」のフレーズ

時代の変遷とともに,教育に対する考え方も多様化している。このような時代に,学校ではどのような教員が求められるか。主体的学び研究所『主体的学び』7号(2021年)では,特集「教えることをやめられますか」を取りあげた。これは,教えることを放棄することではない。むしろ逆で,これまでの教育のままで良いのかを問いかけたものである。

同雑誌の巻頭論文に,東京大学名誉教授寺﨑昌男氏の「『教える』ということを掘り下げる」が掲載され,多くの読者から高い評価を受けている。そのなかで,注目したいのは,寺﨑氏が教師を以下のように分類して紹介しているところである。

  • 普通の教師は,ただ話して聞かせる
  • よい教師は,丁寧に説明する
  • 優れた教師は,自分でやって見せる
  • 偉大な教師は,相手の心に火をつける

この分類を見ながら,筆者は,教育パラダイムから学習パラダイムへの転換を示唆していると考えた。最後の「相手の心に火をつける」は,卓越した表現である。これは,英語の“Inspire”の訳である。教員の誰もが,学習者の心に火をつけたいと思っているに違いない。筆者は,この学習者の心に火をつけるとは,学習者の「好奇心」をかきたてることではないかと考えている。

出典は,哲学者W.A.ウォードの著書に出てくる章句で,原文は1970年である。この時代のアメリカの高等教育はどうであったのか。1995年に「学習パラダイムへの転換」が起こる数十年前のことである。筆者は,アメリカの高等教育の歴史的変遷を10年ごとに区分して考えることにしている。たとえば,1960年代は「学者の時代」と呼ばれ,研究が重視された。1970年代は「教員の時代」と呼ばれ,教育が注目され,学生の授業評価に焦点が当てられた。すなわち,この1970年代が「教員の時代」であったことを考えれば,上記の分類も納得がいく。さらに,1980年代は「デベロッパーの時代」でFDが注目された時代である。1990年代は「学習者の時代」で学習に焦点が当てられた。したがって,ジョン・タグらが1995年に「学習パラダイムの転換」を提唱した時代と軌を一にしていたことがわかる。2000年代は「ネットワークの時代」で,これが現在につながっている。(註:拙著『ポートフォリオが日本の大学を変える~ティーチング/ラーニング/アカデミック・ポートフォリオの活用』(東信堂,2011年,3頁)

啐啄同時

教員がどのように「火をつけたい」と思っても,学習者にその気がなければ,火はつかない。禅宗のことばに「啐啄同時」という表現がある。これは親鳥が外側から,ヒナが内側から互いに合図を送ることで,それが「同時」であって,孵化するという意味合いに使われる。

これを教育に置き換えると,教員と学習者が一体になることを示唆している。

「北風型アプローチ」と「太陽型アプローチ」

『ウィキペディア』によれば,「北風と太陽」は,イソップ寓話の一つである。物事に対して厳格で臨むよりも,寛容的に対応する方が得策という教訓として広く知られている。周知のように,北風と太陽が力比べをして,通りすがりの旅人の外套を脱がせることができるかという勝負をする。北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとする。しかし,寒さを嫌った旅人が外套をしっかり押さえてしまい,北風は旅人の服を脱がせることができなかった。次に,太陽が燦燦と照りつけた。すると旅人は暑さに耐え切れず,自分から外套を脱いでしまったという寓話である。

これは,教員の教え方の違いを説明するときに効果的である。2022年9月7日,「令和4年度全国大学教育研究センター等協議会」において,鹿毛雅治氏(慶応義塾大学教職課程センター教授)は,「学生の学習意欲を育む教育環境」と題して基調講演をした。

「北風型アプローチ(直接型)」と「太陽型アプローチ(間接型)」に分けて興味深く述べた。「太陽型アプローチ」は,「環境を利用した(仕掛け)」もので,やる気を促す,間接的なアプローチであり,望ましいアプローチである。これには,ファシリテーター(学びの促進)やコーディネーター(場の調整)の力量が求められ,反転授業は効果的なアプローチであると述べた。

評価とアセスメントの違い

北風型と太陽型は,評価においても使える。鹿毛雅治氏は,教員は一般的に「北風型」タイプになりやすい。このアプローチは「即効性」があり,可視化できる。これは,教員側の視点であり,学習者の視点に立てば,「エンゲージメント(没頭)」しているかどうか疑わしい。指示にしたがって「行動」しているに過ぎない。これでは,学習者の「力」にはならないと教育心理学者らしい細かい分析を行っている。

学生の評価をどうするかで授業内容も大きく変わる。これは,授業シラバスを書くときに教員の頭痛の種である。なぜなら,成績評価が授業シラバスの最後に来るからである。アメリカでは,授業デザインをバックワード(後ろ向き)で考えるようにしている。したがって,成績評価から授業設計することが多い。多くの学生は,評価のために授業を受けると言っても過言ではない。

実は,評価と同じようなものにアセスメントがある。両者は根本的に違うにも関わらず,混同している。評価は,教育パラダイムの「雀の学校」の成績評価で,アセスメントは,学習パラダイムの「めだかの学校」の成績評価であると考えるとわかりやすい。

授業デザインの世界的権威者ディ・フィンク博士は,彼の著書で両者の違いを興味深く比較している。15回の授業で学んだことを,ABCに譬えて両者の違いを説明している。授業で習ったことを試験するのが「後ろ向き評価」,授業で習わなかったことに挑戦させるのが「前向き評価(アセスメント)」と峻別している。また,アセスメントの語源は「膝を交えて話す」というラテン語・ギリシャ語から派生したものであると述べている。

15回の授業と試験との乖離

15回の授業が終わり,試験をして成績が出たら学期は終わる。これでいいのだろうか。本来,そこから学びがはじまるのではないのだろうか。大学が最も重視しなければならないのは,試験後のフィードバックである。筆者の京都情報大学院大学で行う共同授業は「16回」目の授業が設定されている。これは,実際の授業を行うという意味ではなく,学生とのフィードバックにもとづいてアセスメントするためのもので,学生も教員も互いに満足する最終評価につながるユニークな手法である。

まとめ「学び方を学ぶ」自律的学修者の育成

教員に何ができるか,学生に何を授けるべきか。高度化した専門教育なのか。そうではない。これからは「学び方を学ぶ」自律的学習者の育成が求められる。たとえば,アメリカのオンライン授業で成功しているミネルバ大学の初年次カリキュラムでは「学び方を学ぶ」を徹底している。

大学教育において,学習者が知識や技能を取得するためには,自ら学ぶという姿勢が不可欠である。しかし,そのための動機づけは容易ではない。すなわち,大学における学習者の学習意欲を高めるための方法や処方箋のようなものがあるわけではない。なぜなら,学習者は多様であり,価値観も違うからである。

これからは,教員か学習者かという二者択一の考えではなく,教員も学習者も互いに学ぶアクティブラーナーの姿勢が望まれる。