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DXには発想の転換が必要~思考法の切り替えを促すリベラルアーツ教育~(2023/01/11)

『教育学術新聞』2023年1月11日

はじめに

デジタル化の影響を受けて,デジタルトランスフォーメーション(DX)ということばが「氾濫」している。何がDXで,何がDXではないかの基準が曖昧でDXのバズワード化が横行している。

DXということばは,2004年にスウェーデンのウメオ大学のエリック・ストルターマン教授によって提唱された概念であり,「進化し続けるテクノロジーが人々の生活を豊かにしていく」というものである。

2022年9月23日のNHKニュースで東京大学に新学部「メタバース工学部」が設置されたことが放映された。最近,カタカナ名称の学部が急増している。これは,「メタバース(META+Universe)」の造語で,大学のDXを象徴している。このようなDX的な動きは,それ以前にも見られた。たとえば,京都情報大学院大学理事長長谷川亘氏は,「小規模大学の将来像の一形態:ネットワークマルチバーシティ」( https://www.accumu.jp/back_numbers/vol18/networkmv.html)と題する論考の中で,以下のように記述している。

「携帯電話の普及と通信速度の高速化及び機能やサービスの拡大の例にも見られるように,社会のパラダイムは大きな変化を遂げている。ブロードバンド化が進み,通信コストが安価になったこともあり,あらゆるモノがネットによって繋がる時代となった。ITは,より安全で人や環境に優しい便利なものとなり,ユビキタス社会は急速に発展している。そして,我々の生活の利便性は,ますます高まる様相を呈している」と述べ,「小規模大学が連合して合理的にIT化することにより,教育の質のより一層の向上と,経営のさらなる効率化,人件費など固定費の削減の実現を図る一例として,『ネットワークマルチバーシティ』構想を提案したい。ネットワークマルチバーシティは,苦戦の続く小規模大学が大規模大学に対抗するための将来像の一形態である。」との考えを示している。これは,雑誌『アキューム』18号(2009年)に掲載された記事で,大学におけるDX的考え方を早くから提示したものである。グローバル化の進展した現在では,世界を視野に入れた大学のDXが期待される。

急激な変化を遂げつつある現在,何をどのようにすればDXの発展につなげられるか,発想の転換が求められる。

2022年9月17日,大正大学第7回高大接続フォーラム「あらためてわかる!!新学習指導要領と教育DXの本質~『学力観』のトランスフォーメーション」があった。基調講演者の一人西山圭太氏の「『DXの思考法』による未来の教育像」が筆者の目に留まった。西山氏は『DX思考法~日本経済復活への最強戦略』の著者である。

DX実現~思考法の切り替え

西山氏は,DXの実現のための思考法の切り替えについて興味深く説明した。筆者は,DXには発想の転換が必要であると考えていたので,共感するところが多々あった。なぜなら,思考法の切り替えがなければ,いつまでもデジタル化を追従することになり,何ら新たな変革が生まれないからである。

発表用資料によれば,「(前略)今日,驚異的な能力をもったコンピュータが出現しつつあるが,それは一定のプログラムを設定してやれば人間をはるかに超える能力を発揮することはよく知られている。だがこのことに幻惑されて人間の能力について悲観的になる人がいるとしたら,それは愚かなことだ。<中略>コンピュータがどれほど発達してもおそらく人間を追い越すことのできない能力が人間には備わっている。それが,ここでいうパターン認識そのものである。」(遠山啓『代数的構造』(ちくま学芸文庫・原著1972年刊行)を紹介した。これは,リベラルアーツ教育を推奨する筆者には,水を得た魚のような新鮮さであった。

DXの思考法=抽象化

さらに,認知科学の発展によって,脳は何をしているのかが明らかになり,目の前にあるものから肝心なことだけ取り出す,抽象化能力に優れていることがわかった。たとえば,仕事上の抽象化については,(1)物事を単純化する(優先順位をつける),(2)多面的に考える,(3)課題から考える(常識を疑う)がそうである。さらに,「パターン認識をしている人はどんなことができているのか」として,(4)切り口を変えて共通点を見出す,(5)比喩上手である,(6)レベル感を持っている(対話能力を持っている),(7)多くのフレームを身につけている(引出しが多い),(8)考えたことをうまく表現できる(美術など他分野の先人から学ぶ),そして(9)創造することである,と述べている。

高校におけるSTEAM教育

筆者は,2022年4月20日付の本紙アルカディア学報721号「文理融合を促すリベラルアーツ教育~STEMからSTEAMへ」と題する論稿で,アーツを象徴するリベラルアーツ教育について言及した。

同フォーラムは,高大接続に関するもので,基調講演者のもう一人,品田健氏は「学び続けられる生徒を育てるSTEAM教育」と題して話した。そこでは,STEAM教育の特徴である,理系にかかわらず広く教科横断型の学びの重要性を指摘しただけでなく,高校では,学んだ知識や技能を統合して,課題や問題に取り組み,創造的なアウトプットを行い,成果をシェアする「探究学習」の重要性を強調した。彼によれば,STEAM学習では正解のない問題を考え抜くために,必要な「情報」を集め,問題を考え抜くために,お互いの考えを共有し,最適と思われる答を検討することが重要であると述べた。そのために,何が必要かを自ら問いかけた結果,「余白の時間」であったと主張した。このような大胆な発想が高校教員から聞かれたのは驚きであった。これは,後述のカリキュラムのオーバーロード問題とも密接に関連する重要な指摘である。「ゆとり」が学びを深めるというパラドックス的発想も重要になる。

DXとICEアプローチ

DXは,ICEと考えるとわかりやすい。たとえば,次の図表を参照にしてもらいたい。

「現在(I)」から「将来(E)」へつながる,(矢印➡)のところが,転換を促す(C)と考えることができる。これがDXの思考法へとつながる。すなわち,「ITの浸透が,人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」という思考に導くには,現在(I)が起点となり,そこで習得した情報を踏まえて,それを「つなげる」(C)が次に来る。それらの中から,取捨選択して「優先順位」を決定する。このような究極の判断ができるには,リベラルアーツ教育の批判的思考力,判断力,複眼的視点,洞察力,探究力,発想力などの要素が必要である。これらの多様な力を駆使したところにEが来ると考えることができる。

すなわち,優れたDXにはICEアプローチの考えが効果的である。ICEはブルーム・タクソノミーのような階層的ではないので,状況に応じて,「変幻自在」に変えられるので,トランスフォーメーション(変革)を促すには最適なツールである。

おわりに~カリキュラムのオーバーロード問題

最後に登壇した,佐藤浩章氏は「探究学習と教科学習を架橋する概念ベース学習」と題して,探究学習を推し進める上でのカリキュラムのオーバーロード問題について言及した。

これは,高等学校の新学習指導要領にともなう探究学習に関連したものであるが,カリキュラムのオーバーロード問題は,高等教育についても同じである。筆者は,これは量的評価を重視するか,それとも質的評価を重視するかに左右されると考えている。日本では,科目数を多く履修させれば,多くを学ばせたかのように錯覚するところがある。学びの質は,量だけでは測れない。

これは,単位制においても然りである。アメリカから導入された単位制では,1/3の授業に対して,2/3の教室外学習が課せられていることが理解されていない。現状の大学の実態を鑑みれば,授業が3/3と化している。これで自律的学習者など育てられない。

実は,アメリカにも,現在の日本と同じような現象が見られたことがある。たとえば,ミネソタ大学ウエブサイトには,「教える内容が多すぎ,教える時間が少なすぎる(So Much Contents, So Little Time)」と題する興味あるフレーズが話題になった。(拙著『ティーチングポートフォリオ~授業改善の秘訣』(東信堂,2007年)(80頁参照)

なぜ,正常な授業形態に戻せたのか。それはアクティブラーニングのなせる業である。アクティブラーニングが教室内外の授業と学習をつないだからである。

探究学習を推進し,カリキュラムのオーバーロード問題を緩和するには,アクティブラーニングを効果的に導入する以外に道はない。