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2007年7月 小惑星Hieizan

先日,小惑星(8579)にHieizanという名前が付けられました。小惑星は現在約16万個が登録されていて,多くは火星と木星との間で公転していますが,広く太陽系全体に分布しています。小惑星(8579)は群馬県の熱心なアマチュア天文家である小林隆男さんにより1996年12月に発見されました。これまでに京都の地名の名前が付いた小惑星には(4352)Kyotoを始め,(5240)Kwasan=花山天文台,(572)Nijo=二条城,(10143)Kamogawa=鴨川などがあります。小惑星の命名は発見者が国際天文連合の小惑星センターに申請することによって行われるので,比叡山を宇宙に登録したいという想いから,Hieizanの命名を小林さんにお願いしたところ快諾していただいた次第です。太陽からの距離は約3億km,公転周期は約4年,サイズは不明ですが多分10kmくらいでしょう。

比叡山はいうまでもなく京都の東北,琵琶湖の西に位置する美しい山です。標高848mの最高峰からは,京都・琵琶湖の両方が展望でき,野鳥・野猿の楽園にもなっています。またユネスコの世界文化遺産にも登録されています。山頂にある延暦寺は最澄により延暦7年(788年)に開かれ,朝廷・公家などの信仰厚く,平安京の鬼門(北東)を護る国家鎮護の道場として栄えました。その門前町として繁栄したのは東側山麓の坂本(大津市)です。 天台宗の本山寺院ですが,禅や念仏も含み,いわば仏教の総合大学の様相を呈し,法然・親鸞・道元・日蓮たちも青年時代にはここで学びました。永享7年(1435年)足利義教(よしのり)に,また元亀2年(1571年)織田信長によって焼き討ちされ,現在の建物は江戸時代再建されたものです。比叡山は多数の国宝や重要文化財を有し 文学や芸術作品にも数多く登場し,仏教だけでなく日本の歴史文化に大きな役割を果たしています。

比叡山は京都市内のどこからでも眺められますが,写真を撮るとなるとマンションや工事器具やエトセトラに隠れてしまい,実に難しいものです。東山三十六峰に連なるところを撮りたかったのですが,左京区宝ヶ池あたりで真東に見える比叡山にしました。重ねた軌道図は中心が太陽で,内側から水星・金星・地球・火星・Hieizan・木星・土星の2007年6月10日における配置を表しています。

小惑星比叡山と実際の比叡山

ところで,水星から海王星までの8惑星および16万個の小惑星はすべて反時計回りに,それぞれやや扁平な楕円上を公転しています。公転周期は太陽からの距離だけで決まり,ある時期の位置は正確に予測することができます。これら天体はどんな法則に従って運動しているのでしょうか? 約400年前,ケプラーはそれまでの膨大な観測データを丹念に整理して,ある規則性を見出しました。今日「ケプラーの法則」と呼ばれているものです。その後ニュートンによって万有引力を含む微分方程式として定式化され,それを解けばいかなる日時の位置・運動も予測できることがわかりました。惑星運動は超自然的な力を借りなくても解明できたのです。データを収集・解析して引き出した法則を定式化し,それによって未来の状態を予測するという研究方法は惑星運動に発し,やがて広く自然現象に適用され,今日の科学技術文明の基礎を築きました。「天体運動の解明は近代科学の始まり」といわれるのはこのような歴史的事実に基づいています。社会現象は自然現象のように単純にはいかないということを時々耳にしますが,私は決してそうは思いません。将来いつの日か,生命現象も社会現象も意外にシンプルな法則で理解されるものだと思う日が来ることを期待しています。私たちはかつての偉大な天文学者よりずっと優れたツールを駆使できる時代に生きているのですから。

作花 一志